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スーパー耐久2013 第2戦 インジェスピーディウム(韓国)に行って来ました!


  • 5月23日(木)〜27日(月)の日程で、『スーパー耐久レース2013 第2戦』を戦う為に、インジェスピーディウム(韓国)に行って来ました。

    インジェスピーディウムは、韓国と北朝鮮の軍事国境線である、38度線に面する江原道という所に建設されたサーキットで、出発前にウィキペディアで調べた情報では2013年4月完成予定とありましたが・・・情報は全く無く、帰国後の先ほど、もう一度調べると5月完成と記載変更されてた位の、チームとしてもドライバーとしても予備知識が全く無い、色々と不安要素の多いレースウィークでした。

    ですが、開幕戦SUGOが雪で中止となり、実質の開幕戦が全く情報の無い韓国で、という不安要素からか参戦を見送ったチームも多かった事から、2012年のシリーズタイトルを防衛出来るチャンスを逃さぬ為、チームは韓国へ海路マシンや機材を運び入れました。

  • 23日(木)は『移動日』です。

    関西国際空港から金浦国際空港へ約1時間40分の移動後は、バスで約3時間半の移動です。バスでの道中は韓国人の運転手さんが、かなりの山道を突然の爆走(暴走?)や蛇行運転を繰返したり、エアコンを切って灼熱地獄を味合わせてくれたり、最終的には突然勝手にキレてバスから降りてタバコを吸い始めたり・・・なかなかの歓迎ムードでしたw

    やっとの思いで到着したサーキットは、まだまだ工事車輌がサーキット内外を走り回り、2〜3日後にレースが出来る状態か不安な状態でした。サーキットに隣接するホテル&コンドミニアムも、まだまだ建設中のようで、トイレが使えないだのエアコンが付かないだのと、皆が口々に漏らしていました。

  • この日は、食事の為にインジェの町に下りるバスの時間制限もある事から、コンテナからマシンや機材をPITに運び入れて終了させ、インジェの町で韓国料理とビールとマッコリで移動の疲れを癒しました。

    この時のバスの運転手さんや、韓国料理屋さん達は非常に親切で、韓国料理屋さんは3日間連続で通った程です。

  • 24日(金)は『搬入日』です。

    PIT内は広くて綺麗ですが、かなり埃っぽいです。マスクをして搬入作業を進めました。事前の調べから、寒いと思って防寒対策を万全にして行きましたが、出発時の日本以上に蒸し暑くて体力の消耗を感じました。

  • お仲間の#116WSエンジニアリングの面々は、この日はサーキット走行が無い事を知ってか知らずか(爆)レーシングスーツにしっかりと着替えて撮影会中です。

    この日は、夕方に到着したドライバーさん達と共に、初めてのコースを1周=約1時間というタイムでゆっくりと歩いて回り、コースの状況を確認して終了しました。

  • 25日(土)は『予選日』です。

    午前中に2時間の「フリー走行」が行われ、2人のドライバーがここでの初走行をしました。2時間という限られた時間をフルに使って、コース確認&コース習熟&マシンのセットアップを行いました。

    写真は、今回のレースで混走となる「ジェネシスクーペ」のストックカーですが、今回のレースはいつもの耐久レースとは違って、Aドライバーによる45分の第1スプリントレースと、Bドライバーによる45分のスプリントレースの2戦行われ、そのレースに韓国でのシリーズ戦を戦うジェネシスクーペが混走する事から、各車の動きもレース展開に大きく左右される事が容易に予想されました。

  • 午後からはA&Bドライバー予選が15分づつで争われ、#38はAドラ予選で植松選手が2番手、Bドラ予選で筒井選手が5番手から、翌日の決勝グリッドが決定されました。

    写真はジェネシスクーペのフロントセクションですが、やはりかなり荒っぽい作り方をしていて、故障やクラッシュリスクを非常に考えさせられます。現地の方は・・・考えないんでしょうかね?

  • 極め付けはリアセクションです。燃料タンクと駆動系シャフトに隔壁もなく、少しのトラブルで車輌炎上が容易に予想されます・・・。本当は、こんな車とレースしたくないです。

    お国柄なんでしょうね。

    事前調べでサーキット周回距離は4207m(現在でもウィキペディアに記載)とあり、その計算で燃費を出そうにも想定数値と非常に掛け離れて燃費が良く、最初はドライバーさんも初の走行でアクセル踏めてないのかな?と思ってたりもしましたが、決勝日の朝、主催者側のSTOさんからの通達で、独自の調査で4207m×→3838m○と報告が入ってビックリ!しました。

  • 26日(日)は『決勝日』でした。

    今回のレースは予算の都合や諸々の理由から、ドライバーの数よりメカニックの数の方が少ない状況でのレースで、#38に至っては常時携わってるメカニックは私1人!エンジニア的仕事やタイヤ管理、車体清掃などももちろん1人で・・・。(今回は写真の数も極端に少ない理由でもあります。)

    そんな中でも、ドライバーさん達は素晴らしい仕事をしてくれ、第1レースは優勝!第2レースは3位という高成績を残せました。ライバルの#48は2位×2回とポールポジションポイント1を加え、16ポイントで同ポイントでトップで日本ラウンドへ戻る事が出来ました。


    最後に・・・25日(土)の朝に、チームのデータエンジニアとして一緒に韓国入りした、川住メカニックがPIT内で急逝されました。心臓麻痺だったそうです。彼の消え行く最後の瞬間を目の当たりにし、大声で名前を呼び掛けるしか出来なかった無力な私。私に出来る事は、彼と一緒に獲った昨シーズンのチャンピオンカーで、今年も勝ち続ける事。

    「なんとか2戦共に表彰台に上らせる事が出来ましたよ!もっとレースの事やクルマの事を教えて貰いたかったんですが、無理になっちゃいましたね。こうなったら独自で勉強を重ねて川住さんをビックリさせるレースをしてやりますよ!天国から私達の応援をしてて下さいね!お疲れ様でした。」