近畿運輸局認証工場
近運整認大 第114245号

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ルマン24時間耐久レースに参戦して来ました。


  • 6月5日(土)の早朝出発で、大阪空港(伊丹)→成田空港→フランス・シャルルドゴール空港と長時間の空路移動を経て、フランスのパリへ♪ パリの有名な観光名所の凱旋門や、エッフェル塔などは一切見ず、田舎への3時間半ほどのレンタカー移動です。

  • 5日の早朝に出発して、計20時間以上の移動をしたにも関わらず、日付変更線をまたいだ影響もあって、ホテルに到着したのは同じ日の5日(土)の夜で、しかもフランスは夏至のこの時期、まだまだ明るくていきなり戸惑いつつも、先にフランスに入っている井入選手や、エンジニア、メカニック×2人と合流して中華料理屋さんで、楽しく食事をしました。

  • 翌日6日(日)は、設営をしたり、まだ新車の香りがする「ムルシエラゴRSV-LM」に、カッティングステッカーや、スポンサーステッカーなどを貼り、レースの準備をしていきました。

  • 24時間戦う訳ですから、ホイールの数もおびただしい数です。こいつも順次、タイヤサービスに運んでいきタイヤを付けて貰います。

  • 7日(月)は、『公開車検』です。サーキットから積載車にマシンを積んで、15分ほど移動した所にある「ジャコバン広場」という場所に移動させて、観衆の中で公開車検を行いました。

    積載車から降ろした瞬間に、観衆が集まって来ました。こちらでは、レースが街中に浸透しているようで、老若男女問わずに色々な人がすごく楽しそうに、このビックイベントを楽しんでいるのが伝わりました。

  • 人ごみを掻き分け、なんとか車検場にマシンを入れました。ここでレギュレーションに合ったマシンかどうかを厳しく確認されます。

  • リフトを使って、マシンの下側も確認されて、見事に車検合格!車検合格のステッカーも無事に貼られます。

  • そして、広場中央に設けられた「撮影ポイント」に、マシンを移動させて、チーム全員が集まって記念撮影しました。

    ここから、また積載車にマシンを積み込んで、サーキットに移動してから、本格的なマシンの整備が始まりました。

  • 他のチームも忙しそうです。当たり前の事ですが、周りは外国人さんだらけです。というか、私達が数少ない日本人だからか、他のメカニックの方達から話しかけられたりする事もしばしばあって、フランス語は全然&英語もほとんど喋れない私は、せめて英語位はマスターしなくては!と痛切に感じさせられました。

  • 車検後の7日(月)午後から、9日(水)の昼までの間で、レース本番に向けたマシンの整備として、ドライブシャフトなどの駆動系パーツの温存の為に、予選用のパーツと入れ替えたりします。

  • ナイトセッションのある耐久レースですから、ヘッドライトやフォグライトの改良、フランス出発前に私がチームから依頼されましたデイライト(PIT INしてきたマシンをメカニックが見分けられやすいように、グリーンLEDを埋め込みました。非常に視認性が良くてマシン判別に役に立ちました。)などを取り付けしたり、新型車ですのでイザという時に、迅速に外装パーツの取り外しが出来るように、一度マシンをバラバラにしてみたりしました。

  • ここで、私達の食事を支える「ケータリング サービス」を紹介します。トラックにテントを張った作りで、レースウィークの毎日、朝昼晩とここで食事をしました。非常にレパートリーに富んだ料理に、毎日の食事時間を楽しみにしていたのですが・・・睡眠不足からきた口内炎に硬いフランスパン(1週間の毎朝昼晩に必ず登場していました。)がざくざく刺さり、しばらくフランスパンだけは恐怖症になりそうですw

    そして、メカニックの顔がやばい感じなのは・・・疲れのせいという事にしといて下さいwww

  • 9日(水)&10日(木)は、『予選日』です。二日間の予選では、必ずナイトセッションもあり、予選の終了時間は夜の12時まで行われます。

    我がチームでは、ここで無理をして予選順位を上げるのではなく、ドライバーがコースに慣れる事、車の特製やセットアップを確実に行う事に専念して、クラスでは最下位の8位で確実に基準予選タイムを満たして予選を終えました。

    私は、今回のレース中の仕事は左側タイヤ交換&右前タイヤ交換担当ですので、汗だくになりながらもマシンの回りを走り回って作業しました。(ルマンのルールで、タイヤ交換に必要なインパクトが、作業レーン内に同時に1個以上出すことが禁止されている為に、GTのように同時に両側タイヤ交換が出来ないのです。)

  • 11日(金)は、ドライバーさん達は『パレード』でしたが、メカニックはこの日は一日、『メンテナンス』をします。翌日のレース本番を前に、温存しておいた駆動系パーツの交換や、予選で気になった部分の手直しをしていきます。

  • 予選で井入選手が懸念した「ミッションの入りが悪い感じがする」というコメントを受けて、ミッション内部の確認も致しました。ここでメインシャフトのナット部分の緩みを発見して、ミッションの前方に取り付けられたエアコンのコンプレッサーを回すシャフトの折れも確認したので修理をしました。(なぜ、レーシングカーにエアコンが必要かを説明しますと、ドライバーの安全を優先して、室内外の温度差が基準値以上に上昇すれば、室内に取付けされた温度センサーによって、レースを主催するACOの管理するコンピューターにこの情報が送られて、PIT INを命じられる為です。)

  • 12日(土)15時〜13日(日)15時まで、いよいよ24時間耐久レースの『決勝日』です。

    PITからマシンを押してコースインさせる間、ファンの方達の熱い声援を受け、このレースの重みを感じ、24時間にも及ぶ長いレースの始まりを待ちました。

  • レースクイーンさん達も、レースを前にファンを魅了させます。(もちろん私達もw)

  • そして、有名なルマン式スタートの演出(ドライバーが走って、マシンに飛び込んでレーススタートをする方式ですが、実際にはベルトがちゃんと締まっていないのに走り出すドライバーや、走って体力を消耗した状態でのスタートに危険という声があって、今回は演出のみでした。)の後に、通常のローリングスタートから、レーススタートされました。

    レース前に、まずメカニックを焦らせたのが「バックモニター」の接触不良。後方確認がし難いレースカーで、夜間走行や、速度差の大きく違うクラスのマシンにラインを譲るなどの必要が迫られる今回のレースでは死活問題です。

    まずは、一回目の通常PIT INの際に電源線を取り直して30秒ほどのロスで事なきを得ます。

  • スタートドライバーの余郷選手が、順調にLAPを重ねていき、セカンドドライバーの井入選手にハンドルを託して、スタートから約3時間頃に無線から「また!(予選中にも同じ井入選手のドライビング中にバーストをしました)タイヤバーストしてもーたわー!!」と報告が入ります。

    なんとかPIT INしたマシンは、バーストしたタイヤ片に右側リアフェンダー&サイドステップ&バンパーが破壊され、なんとラジエターまでが破壊されてエンジンを冷やすクーラントが無くなっている状態でした。GTなどとは違い、ガムテープなどで外装の応急処置が許されていない為、破壊された箇所の修理&外装のチェンジ&ラジエターのチェンジを行いました。クーラントが無くなった状態で、PITに戻る為に走行をしてヒートした(ロガーで確認したところ135度まで上昇していました。)エンジン内部の故障を心配しましたが、こちらは問題ナシでしたので、急いでマシンをコースに戻しました。(この作業のロスタイムが約70〜80分程だと思います。)

    そして、また順調にLAPを重ねていき、井入選手から山西選手に、そして余郷選手にハンドルを繋いでいき、スタートから約10時間を越えて間もなく、無線から「5速が無くなった!ジャリジャリ異音がする。」という報告が入り、緊急PIT INを行い、ミッションの修理に掛かりました。ここでもルマンルールで、ミッションケースの交換が認められていない為、ミッション内部のギア部分のみの交換作業をします。ここで、またもやエアコンのシャフトが折れている事を確認致しました。ナイトセッション中ですし、この日の気温では危険な温度差にならない事を考え、エアコンシャフトの修理は諦め、ミッションの修理のみに徹してマシンをコースに戻しました。(この作業のロスタイムが約3時間30分程だったと思います。)

  • ドライバーを余郷選手から、井入選手に交代させ、またもや順調にLAPを重ねていきます。

    この頃には(夜中の4時頃)、前日までの睡眠不足や、慌しいPIT作業の疲れが出始め、メカニックに疲れが出始めました。(いつマシンが緊急PIT INしても良いように、装備品を身に付けたまま、私もこのスタイルで仮眠をとっていました。真っ黒な耐火服に、赤の挿し色がオシャレでしょ♪)

  • スタートから、約15時間を経過した頃に、またもや井入選手から「今度は6速が無くなってもーた!異音もする!!」という無線の報告を受けて、結果としては最後となってしまう緊急PIT INを行いました。予備パーツの状態(もう一台分のミッションパーツしかない為に、6速が壊れた影響で、先ほど交換した5速まで壊れていたらパーツが無い為)や、時間的な事も考えて作業を悩むメカニックに、則武チーム監督は「ここまで来たら、なんとか完走はさせたい!頑張って作業してくれ!」と激を飛ばされ、その声に背中を押されて、疲れた身体に鞭を打って、またもやミッション修理作業に取り掛かりました。ミッションをバラして中を確認したら、運良く6速のみの交換で済みそうでしたので、予備の交換パーツとしては、先ほど使用した5速は問題なく、作業を進めていきました。なんとか後30分程で作業が終了するという、スタートから19時間目頃に、レースの主催者ACOから『リタイヤ』の通達が来ました。(レースの全体のトップ周回数から50%を下回った為)

    19時間ボロボロになりながらも、走り続けてくれたマシンをなんとか完走に導きたかったのですが、非常に残念でした。

  • ルマンの栄光のポディウムを遠くに感じ、クラスとしては4番目にリタイヤとなりました(リタイヤ寸前までは、回りのマシンがどんどん脱落していき、#69はクラス4位まで上昇していました。)レースの過酷さに、ルマンのレースの厳しさを改めて感じました。

    実は、私は今回のレースに「自問の声に目を背けない」という気持ちを持ってフランス入りしました。レースという過酷な状況の中、時間の無い瞬間、朝早くから夜中まで続けられる作業の中で、どうしても自分の声を誤魔化して、多分大丈夫だろう、ここは問題ないだろうという気持ちを持たず、睡眠時間を削ってでも納得の行く作業をする。疑問をもてば、きちんとエンジニア&メカニック間で報告するという当たり前の事を遂行するという事です。

    こういう結果になって、まだまだこの気持ちが足りないと思い、レース後に非常に悔しくて、自責の念にとらわれてしまいましたし、24時間耐久レースという非常に長丁場のレースに心身ともに非常に疲れましたが、またいつかはこのレースに参加したい!今度こそは完走させたい!!もう一度チャンスが欲しい!!!と強く思いました。